感情の表現
2002年5月11日私は
自分の感情を 言葉にするのが嫌いだった
読書感想文でさえ 嫌いだった
どれだけ感動した本であっても
それを言葉に置き換えてしまうと
途端に しらじらしい嘘になってしまう様で
できることならば
『とてもよかった』
で すませてしまいたかった
でも
一番 嫌いだったのは
『ありがとう』 と 言うこと
『マイペース』
『無頓着』
『何を考えているのか 他人にはわからない』
基本的な性質は
昔から変っていないのだろうけれど
子供の頃の私は
それらを上手に包む術を持っていなかった
『無口』
『愛想が無い』
『何かしてあげても 反応が薄くてつまらない』
…ある時 母から聞かされた 叔母の言葉
『嬉しさの表現は 大袈裟にしなければならない』
と 学習した私にとって
それ以来 『ありがとう』 と言うことは
義務
装飾
形式
規則
そんなものだけで構成されている
『儀式』としか思えなくなった
いつからだろう
素直に
自分の感情表現として
『ありがとう』と言えるようになったのは
いつからだろう
自分の感情を言葉にしても
そらぞらしい空虚なものを感じなくなったのは
自分の感情を 言葉にするのが嫌いだった
読書感想文でさえ 嫌いだった
どれだけ感動した本であっても
それを言葉に置き換えてしまうと
途端に しらじらしい嘘になってしまう様で
できることならば
『とてもよかった』
で すませてしまいたかった
でも
一番 嫌いだったのは
『ありがとう』 と 言うこと
『マイペース』
『無頓着』
『何を考えているのか 他人にはわからない』
基本的な性質は
昔から変っていないのだろうけれど
子供の頃の私は
それらを上手に包む術を持っていなかった
『無口』
『愛想が無い』
『何かしてあげても 反応が薄くてつまらない』
…ある時 母から聞かされた 叔母の言葉
『嬉しさの表現は 大袈裟にしなければならない』
と 学習した私にとって
それ以来 『ありがとう』 と言うことは
義務
装飾
形式
規則
そんなものだけで構成されている
『儀式』としか思えなくなった
いつからだろう
素直に
自分の感情表現として
『ありがとう』と言えるようになったのは
いつからだろう
自分の感情を言葉にしても
そらぞらしい空虚なものを感じなくなったのは
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